《城址》 「寺尾城 (川崎市)」 神奈川県 No.2 (2011年4月登城)
日本城郭体系によれば、多摩丘陵から岬状に突き出した台地の一つに寺尾台があり、 東西両側に深く谷戸が入り込んで要害地形をなしている。この寺尾台の先端部が寺尾城址と 称されており、その西北1.5キロメートルには小沢城がある。 「新編武蔵国風土記稿」は、横浜市鶴見区にある寺尾城主であり、 後北条氏の家臣である、諏訪右馬助と同じ一族であると思われる、 寺尾若狭守が室町時代に築城したのではないか、としている。
小沢城に引き続き、近くにあります。寺尾城に行ってきました。
上記にありますように、同じ神奈川県の横浜市にも同名のお城がありますのでご注意を。
上空から見るとこのようになっています。※写真右下クリックで拡大可。
赤線のルートで進みます。
1948年当時の上空写真です。※写真右下クリックで拡大可。
稲田堤駅から府中街道を川崎方面に歩き、塚戸交差点を右折してしばらく歩くと、ガソリンスタンドの向こうに見えてきました。
赤線のルートで進みます。
稲田堤駅から府中街道を川崎方面に歩き、塚戸交差点を右折してしばらく歩くと、ガソリンスタンドの向こうに見えてきました。
ガソリンスタンドの裏にある細い道を山裾沿いに進みます。
それっぽい登り口に着きました。ここから先は古道だそうです。雰囲気ありますね。
山道の左手はこんな感じです。
山道の右手はこんな感じ。当時そのままではないでしょうが、とても雰囲気はよいです。
寺尾台団地に向けて登っていくと、右手に3段の平坦地があります。
当時の遺構が残され、活用されているものかどうかはわかりません。
只、可能性は高いような気がします。
上空からの図でいうと「①」のあたりです。
下から1段目。
お墓があり、私有地のようなので、お墓が写らないように少し遠くから撮ります。
この下は急峻な崖になっています。
お墓があり、私有地のようなので、お墓が写らないように少し遠くから撮ります。
この下は急峻な崖になっています。
下から2段目。右手に少し1段目が見えています。
これも2段目。
2段目から3段目を見ます。
3段目です。
先の3段の平坦地の反対側は唯一の確実な遺構といっていい、竪堀となっています。
木と草が茂っていてわかりづらいですが、草木を刈るととても立派なものが現れると思われます。
上空からの図でいうと「②」のあたりです。
日本城郭体系によれば、現況で延長12m、幅8m、深さ5m程度だそうです。
下から堀を見る。
上から堀を見下ろす。
古道との間の土塁状になっている部分。
竪堀の先には大きな平坦地があります。上空からの図でいうと「③」のあたりです。
大きな郭があったのか、造成でまとめてしまったのかわかりません。
眺めはよいです。
このフェンスの向こうは、上空からの図でいう「④」へ続いていくのですが、
行くことができません。ヤブだらけですし、不審者として捕まるわけにもいかないので…。
日本城郭体系によると、この先端部分はこぶ状に高くなっていて、
二、三段の人工によると思われる平坦部があるそうです。見てみたい。
丘の先端部周囲はずっとこんな感じです。
お城についての案内がなにもないので、悲しすぎる。 堀は立派なのでそれだけでもアピールして欲しいものです。 郭を丘の先端部に向かってつなぎ、団地となってるところを、 どこかで堀切って城郭としていたんでしょうね。 古道というくらいですから、この山道は登城口の一つだったのかもしれませんね。 雰囲気はあるので、もったいない。