《城址》 「岩屋城」 PARTⅡ
場所はこちら
→http://yahoo.jp/m90Lpp
現地にあった案内パンフより。まわった結果、縄張りはおおむね正しいように思えます。
3階建ての館もその大きさと位置はともかく、実際に建っていたそうです。
※写真右下クリックで拡大可。
二の丸をあとにします。(二の丸方面を見降ろす)
登ると二の丸との間の堀切であったであろう道路にでます。すぐ足もとに石碑が、、見落としがちなので石碑ファンは注意です。
※写真右下クリックで拡大可。
道路の向こうに登り口があります。本丸裏手(北側)の堀切のようですね。
案内板の裏にパンフレットがあります。いざ帰ろうとするまで気づきませんでした。
遺構についての案内はほぼないですが、攻城戦の内容等、結構内容のあるパンフレットなので、是非とも持ち帰りましょう。っていうかこれは気付かない…。
本丸登り口となっている堀切(本丸裏手)を見降ろす。
細い犬走り状の道を登ります。
本丸に着きました。思ったより狭いですね。せいぜいこもれるのは100人くらいと思っていたのですが、どうも調べると守備兵190人くらいが本丸にいたようです。
登り口を見る。当時の大手は南側のようですが、北側搦め手への犬走りを活かしているのかもしれませんね。
本丸からの景色は絶景です。太宰府行政庁跡がみえますね。この景色だけでも来たかいがある。晴れててよかったー♪
本丸北側の土塁です。なかなか立派。裏手は切岸となっています。ぽっこり穴があいていますが、後世になにかお祀りしていたのでしょうか。それとも建物の基礎のあとかな?
土塁上にはへこみがあります。それなりに幅があるのでなにか建物の基礎跡でしょうか。
櫓があったという説があるようです。
土塁上から本丸を見る。なんか広く見える。
これまたすさまじい名碑。
名碑の裏面。あまりネットでも見ることないのでアップ。
名碑と景色。これもよい。
本丸南側下に見える腰郭。こっちの方向が大手のようです。
本丸南東側下に見える腰郭。というか、立派な郭。
本丸東側下に見える腰郭。
本丸南西側下に見える腰郭。ここがこのまま西に延びて城戸があり、堀切を経て二の丸へ続いていたようです。城代である、屋山中務少輔以下100名余が守っていたそうです。
→http://yahoo.jp/m90Lpp
現地にあった案内パンフより。まわった結果、縄張りはおおむね正しいように思えます。
3階建ての館もその大きさと位置はともかく、実際に建っていたそうです。
※写真右下クリックで拡大可。
二の丸をあとにします。(二の丸方面を見降ろす)
登ると二の丸との間の堀切であったであろう道路にでます。すぐ足もとに石碑が、、見落としがちなので石碑ファンは注意です。
※写真右下クリックで拡大可。
道路の向こうに登り口があります。本丸裏手(北側)の堀切のようですね。
案内板の裏にパンフレットがあります。いざ帰ろうとするまで気づきませんでした。
遺構についての案内はほぼないですが、攻城戦の内容等、結構内容のあるパンフレットなので、是非とも持ち帰りましょう。っていうかこれは気付かない…。
本丸登り口となっている堀切(本丸裏手)を見降ろす。
細い犬走り状の道を登ります。
本丸に着きました。思ったより狭いですね。せいぜいこもれるのは100人くらいと思っていたのですが、どうも調べると守備兵190人くらいが本丸にいたようです。
登り口を見る。当時の大手は南側のようですが、北側搦め手への犬走りを活かしているのかもしれませんね。
本丸からの景色は絶景です。太宰府行政庁跡がみえますね。この景色だけでも来たかいがある。晴れててよかったー♪
本丸北側の土塁です。なかなか立派。裏手は切岸となっています。ぽっこり穴があいていますが、後世になにかお祀りしていたのでしょうか。それとも建物の基礎のあとかな?
土塁上にはへこみがあります。それなりに幅があるのでなにか建物の基礎跡でしょうか。
櫓があったという説があるようです。
土塁上から本丸を見る。なんか広く見える。
これまたすさまじい名碑。
名碑の裏面。あまりネットでも見ることないのでアップ。
名碑と景色。これもよい。
本丸南側下に見える腰郭。こっちの方向が大手のようです。
本丸南東側下に見える腰郭。というか、立派な郭。
本丸東側下に見える腰郭。
本丸南西側下に見える腰郭。ここがこのまま西に延びて城戸があり、堀切を経て二の丸へ続いていたようです。城代である、屋山中務少輔以下100名余が守っていたそうです。
思ったより長くなりました。
PARTⅢへ続く。
PARTⅢへ続く。