《城址》 「岩屋城」 PARTⅢ

城址》 「岩屋城」 PARTⅢ 福岡県 No.1 (2012年1月訪城) 

所在 福岡県太宰府市浦城



岩屋城 PARTⅢ です。これでお終い。

場所はこちら
http://yahoo.jp/m90Lpp


現地にあった案内パンフより。
※写真右下クリックで拡大可。
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本丸搦め手に向かいます。道路からの登り口になっている1本目の堀切をこえます。
本丸を見上げると6~7メートルくらいはありそう。切岸になっているのでこれはこえられない。
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堀をこえるとさらに浅い二重堀状の地形があることに気がつきます。
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もう少し歩くと、さらに土塁っぽいところや堀切状のところがあります。よい写真がありませんでした。
規模が大きく、大野城の遺構を利用しているのじゃないかな?と思ったりします。
大きな石もごろごろしています。道は後世のものでしょう。パンフレットの図でも本丸裏手は畝状の堀群となっていますね。
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お城裏手にあった水の手を落とされたことが落城の大きな要因となったそうですが、そのあたりを歩いていると、今でもこのような水の湧き出てている場所が何箇所もあることに気づきました。
ちなみにこちらの裏手城戸の守備兵は立花からの援兵である吉田左京以下20人、相手は1000人、つらいですね。
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さてお城の案内はこのくらいなのですが、あとは写真集ということで。

紹運公胴塚のアップ。
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紹運公胴塚、無名戦士の碑
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紹運公胴塚 戦没者供養塔
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登山途中にあったイノシシ用の罠。島根の実家でも見たことあるなあ。
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本丸からの景色 その2、最高!!
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土塁脇のへこみ。PARTⅡで建物の基礎跡かも、と言いましたが、違いそうですね。なんでしょう。やはりなにかお祀りしてたのかな?
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本丸東側側面をみる。こっちにも腰郭が巡っていたのでしょうか。草を刈ってみたい。
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本丸搦め手の畝状の堀群には大きな石がごろごろしています。
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麓から見る。攻手大将、島津忠長もこの景色を見たのでしょう。
※写真右下クリックで拡大可。
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周囲にいくつかの砦があり、そこも含めて700名少しの兵で守備をしていたようです。今回は時間不足で訪れていませんが、今でも遺構が残っている砦もあるようです。
島津軍5万に対して、わずかに700人ばかりの兵で籠城し、全員玉砕して果てたお城です。その歴史や紹運公の生き様などから、いつかは訪れてみたいと思っていたお城でした。攻防戦の内容はかなり詳しく記述されているサイトがいくらかありますのでここでは省略しますが、そういった内容を学んだうえでまわるとさらに感慨深いものがあります。下調べ不足でも、あの発見しにくい(笑)現地パンフには、その根拠ははっきりしませんが、攻城戦の内容が時系列でかなり詳しく書いてあります。遺構の説明がほぼないのが物足りないところではありますが、それでもこのパンフを本丸で読んでからまわると歴史ロマンに浸れます。道路になったり、登山道になったりしている部分もあり、目立ったわかりやすい遺構がたくさんあるわけではないですが、実は周囲にはかくれている遺構がたくさんあるのではないかと思われます。おそらくこのパンフの図とおりの場所に遺構のいくらかは残っているでしょう。大野城遺構と含めてまわると何日必要なんだ??と思います。本当に城めぐりはきりがないです。そうそう、なんといっても晴れてよかったー。