小篠塚城(千葉県佐倉市)
東京に引っ越してきて1年、ようやく自分の趣味の時間を持てるようになりました。感謝!
ということで、12日に訪れた城跡を紹介します。
千葉県佐倉市に行ってきました。
ブランクもあるので比較的訪れやすそうなところから…
千葉県① 小篠塚城
所在:佐倉市小篠塚599-1
JR佐倉駅の南方約3.5Kmの鹿島川右岸の台地上にあります。
この城跡に関する資料は残されていませんが、平安時代から鎌倉時代の初めには、
この地域を印東氏が領していました。14世紀末には、この地を平河氏と穴倉氏がこの
周辺を知行しており、戦国時代には古河公方足利成氏が、一時期ここに居を構えた
こともあったようです。
(佐倉市HPより)
この城跡に関する資料は残されていませんが、平安時代から鎌倉時代の初めには、
この地域を印東氏が領していました。14世紀末には、この地を平河氏と穴倉氏がこの
周辺を知行しており、戦国時代には古河公方足利成氏が、一時期ここに居を構えた
こともあったようです。
(佐倉市HPより)
そして、城跡碑にはこのように記載があります。
小篠塚城跡は鹿島川が大きく南から西へ流れをかえてぶつかる台地上に位置する、16世紀後半の特徴があらわれており、この城の最終使用年代は天正末期に想定される。この城は千葉氏が本佐倉城に移ったとされる、15世紀後半から16世紀後半にかけては、軍事的面で本佐倉城への陸路の入り口ひとつを押さえる機能を果たし、116世紀後半からは臼井城や岩富城をつなぐ城として機能したと考えられる。”
小篠塚城跡は鹿島川が大きく南から西へ流れをかえてぶつかる台地上に位置する、16世紀後半の特徴があらわれており、この城の最終使用年代は天正末期に想定される。この城は千葉氏が本佐倉城に移ったとされる、15世紀後半から16世紀後半にかけては、軍事的面で本佐倉城への陸路の入り口ひとつを押さえる機能を果たし、116世紀後半からは臼井城や岩富城をつなぐ城として機能したと考えられる。”
あっ!車で登れそうです。ここは城のどの部分?
へー搦め手(裏側)なんだ、鎧坂? ここは城の南東側です。
搦め手坂を登ってすぐ左手側、上の写真では、右側の崖の上部です。
ここが出丸だそうです。虎口からの侵入兵への攻撃と、見張りの櫓などがあったのでしょうか。
ここが出丸だそうです。虎口からの侵入兵への攻撃と、見張りの櫓などがあったのでしょうか。
向こう側が先ほどの出丸、土塁の手前側が二の丸です
二の丸(綺麗にされてますね)
右手は本丸、左手は二の丸、間が高い土塁で防御されています(大手門から本丸土塁横を抜けたところ)
左手本丸土塁、正面の石柱の右手は大手門跡
本丸土塁
本丸虎口
本丸(西の端です)
本丸の西は急峻な崖になっているのですが、下に降りる袖摺坂という道が整備されています。
これは当時の復元ではなさそうですが、どうなのでしょう??記述がありません。
これは当時の復元ではなさそうですが、どうなのでしょう??記述がありません。
大手門からの景色(なぜ牛舎??)外部から大手門への道は?その道への虎口は?ここは城の北側です。
城の周囲はこのような急峻な崖でおおわれています。
外部より大手門に達するまでの道や虎口を発見できませんでした。
というより、牛舎であきらめてしまいました。
只今思うと、まてよ?牛舎の先にあったんじゃね?
牛舎のところは、ちょっと開拓しただけで実はその先に遺構があったのでは??
と今更ながらに思っています。やはりブランクか…
牛舎のところは、ちょっと開拓しただけで実はその先に遺構があったのでは??
と今更ながらに思っています。やはりブランクか…
なんかほっとするお城でした。
実は、今回佐倉市にいったのは、他に行ってみたいお城跡があったからなのです。
結局は残念な結果になってしまったのですが、それはまた後日…。